2013年3月24日日曜日

ただのノスタルジーじゃあらへんで! 〜重松清『あの歌がきこえる』(新潮文庫)




70年代末から80年代初頭にかけて、本州の西のはじの小さな町で成長していく少年たちを主人公にした連作長篇です。

中心となるシュウ、ヤスオ、コウジの友情はもちろん、親や教師との確執、ほのかな恋心、そしてこの時期の少年たちには最大の過大かもしれない受験や進学をテーマにした、実にまっとうなビルドゥング・ストーリーです。



それこそ似たような話は古今東西いくらでも書かれており、目新しくもないと言われればそれまでなんですけど、そこは重松氏ならではの小道具づかいのうまさで、この連作は各エピソードが表題となっている当時のヒット曲を軸に展開していきます。

フォーク、ロック、歌謡曲、ニューミュージック・・・。昔の流行アイテムを素材に使うだけなら単なる懐かしネタで終わってしまうところですが、やはり音楽というやつはティーンエイジャーの生活になくてはならない存在でして、『あの歌がきこえる』ではそれらの曲が物語を進める重要なカギになってます。のみならずリアルタイムで聴いていた人々の心情もきっちりと書き込まれ、ただのレトロ扱いになってません。



各エピソードにも当時を生きていた人でなければ理解できないような心情が見事に織り込まれています。

まあざっくりと言ってしまえば、70~80年代頃の地方都市というのは退屈で人間関係がわずらわしくて、そこに残り続けることは自分の可能性を捨てることを意味していた。何かやりたい若者は誰でも東京へ行きたがった。地方と東京との(精神的な)距離は、いまよりずっと遠かったものです。

『あの歌が聴こえる』の背景となっているのは大学に進んで何もない生まれ故郷の町を出て行くか、進学しないで地元に残り続けるかという人生コースの図式がよくもわるくもきっちり存在していた時代。その図式を破壊したのは自分のような、学校出てもストレートに就職しなかった(できなかった)人間たちかもしれませんけど。当時はモラトリアムとか呼ばれてたっけ。いまじゃそれもわりと当たり前ですけどね。

東京が新しい刺激的なものをあまり生み出せなくなって、地方にもファミレスやショッッピングモールでまったり過ごすライフスタイルが定着して、若者たちも無理して都会へ出て行こうとしなくなった。ここよりほかに素晴らしい場所があるという幻想は次第に失われてきた印象があります。



社会学者・宮台真司氏も指摘するようにかつてのテレクラブームにより「近場」で男女が出会うことがわりと容易になったり、埼玉の某町に「ナンパ族」なるものが出没したりした時期が転換点だったように思う。ナンパ族も最初はけっこうバカにされてたんですけどね、「都会へ出たくても出られない奴ら」と。

ネットの登場で「郊外化」はさらに加速するんだけど、それはさらにあとの話。重松清の『あの歌がきこえる』からはそんな時代の大きな変化が押し寄せる前の「あのころ」が伝わってきます。