2014年5月14日水曜日

ハードボイルドな店長はあなたの街の書店にも…伊達雅彦『傷だらけの店長』



 著者はいわゆるプロの文筆家ではない。某チェーン書店の店長をされていた方で、本書(新潮文庫刊)は本業の合間をぬって業界紙に連載したエッセイをまとめたもののようだ。

 まず印象に残るのが全編を貫く陰りを帯びた文章のトーンだ。多忙でろくに休みもとれない日常へのぼやきが続き、読者によっては「そんなにグチばかりこぼしてるんなら仕事やめちまえよ!」とツッコミを入れたくなる方もいるかもしれない。

 しかし一見後ろ向きな文章の底には、仕事に対する不満をカバーしてあり余る本への情熱が感じられ、個人的には不愉快な印象はそれほどなかった。

 おそらく著者の嗜好にハメットやチャンドラーなど欧米のハードボイルド小説的なものへの強い親和があるのではと思う。いやしい仕事にグチや皮肉を並べながらも、みずからの職務へのプライドは失わない、サエない私立探偵にも似たヒロイズムが本書の一連のエッセイにはさりげなくブレンドされているのだろう。

 とはいえ現実の生活はそれほど文学的なものでもない。本署で暴露された(そんな大げさなもんじゃないが)書店のウラ事情は生半可なプライドではやってられないほど深刻だ。売り上げのためには自分のポリシーも曲げねばならず、万引き犯に対し常軌を逸しているといってもいいほどの憎悪を隠さない心身ともに傷だらけの店長。精神も肉体も限界まで追いつめられ、家族や友人などプライベートな人間関係にも危機が及ぶ。

 そしてあろうことか、自分の店のすぐ近くに強豪のライバルチェーンが進出してきてしまうのだ。あまりにも非情な弱肉強食の資本主義論理。はたしてお店の運命は、そして店長自身の将来は・・・このあたりはぜひ本書を読んで確かめていただきたい。



 さて、痛烈な内部批判や業界体質への問題提起も辞さない本書の著者・伊達雅彦氏はもちろん(といっていいかどうか)世をしのぶ仮の名である。

 最近フェイスブックなどSNSが一般的になるにつれ、ネット上で実名を明らかにするかどうかが問題となりつつある。

 やはり個人情報流出の不安もあるし、僕自身は偽名や匿名については容認する派であるが、「匿名で社会や他人を攻撃するなんて卑怯だ、堂々と実名でやれ!」という声もあり、なるほどもっともだと思ったりもする。

 人によってさまざまな意見があり、僕自身にもまだ結論が出ない問題であるが、こうは考えられないだろうか。

 匿名の伊達雅彦氏は近所のA書店の人かもしれず、隣り町のB書店で働いている可能性もあり、つまりあらゆる書店に偏在する書店員代表のような存在ともいえる。

 僕らは書店に入って、そこのスタッフの方々と接するたび、「この人たちも伊達氏本人ではないにしろ、同じような思いを抱きながら働いているんだろうなあ」と頭の片隅で想像せざるをえなくなる。目の前にいる無名の店員はいわば伊達氏の現し身、同じ人格を共有する存在となる。顔のない一書店員ではなくなるのだ。

 名を秘することで無名の一個人が普遍的な影響力を持つという逆説も成り立ってしまう。これも匿名の効用かとも思うが、だからこそ実名を隠してのバッシングや誹謗中傷は控えたいもんですよね。