2013年7月10日水曜日

フューチャリストの夢見た未来に僕らは立っているのか? 〜梅田望夫/茂木健一郎『フューチャリスト宣言』(ちくま新書)



 米国シリコンバレーでコンピューター、ネット業界の人々と関わった経験をもとに『ウェブ進化論』などのベストセラーを生んだ梅田望夫氏。かたや「クオリア」という概念を提唱し、脳科学の未知の分野へ挑みつつテレビなどでもおなじみの顔になっている茂木健一郎氏。両者がそれぞれのジャンルの知識や動向をもとに語り合った1冊をご紹介。

 いつものように最新の流行など無視して気の向くまま手にとって読んでおり、本書も2007年刊行のもの。内容からするとユーチューブに注目が集まっていた頃、ソーシャルネットはmixiが一人勝ち状態、ツィッターやフェイスブックはも少しあとみたいな時期かと思われる。移り変わりの激しいコンピュータやネットの世界ではすでに近過去のトピックに属するだろう。でも最新でないからといってけして本書に価値がないこともない。当時を振り返るだけでもなんとなく世の中の変化が実感できてそれはそれで面白いのではないかと。

 自らの学問に対する態度の変化を「アインシュタインからダーウィンへ」と表現し、一つの場所にとどまらずあらゆるものを取り入れることで新しい「知」を模索する茂木氏。欧米の大学には卒業してから就職までに空白の時期を設け、学生たちがそれぞれ好きなことに打ち込む「ギャップ・イヤーズ」という習慣があるが、わが国ではそうした期間はなかなか認められないのが普通だ。茂木氏の言葉にはそういう硬直した学校教育への苛立ちが感じられる。

 プログラムの世界で一流となる人は、プログラミングが好きで好きで仕方なくて朝から晩までそれを続けていると言う。好きなことを徹底的につきつめることで飛躍していく。まさに好きこそ物の上手なれ。ところが日本の教育はそれと正反対なことを強いている。これでは優れた人材が育つはずはない。個性を大切にとかいいながら真逆のことをやっている日本の教育制度。反面、自分の好きなことに打ち込んでいる梅田、茂木の両氏はそれがハードなスケジュールの毎日になってしまったとしても苦にならないのだろう。

 本書の刊行から5年あまりが過ぎた。はたして現在の状況はどうか。閲覧が中心だった1.0からツールとして役立てる2.0へ。SNSも定着し、ユースト放送、ニコ動などでネットはさらに個人の持つメディアとして強力な武器となった。
 とはいえネットの世界は希望に満ちあふれているだけではない。やはりその背後に生身の人間がいるわけだから、心の闇、ダークサイドももろに露呈されるわけで、ネットが原因となる社会問題、事件も限りない。一連の著作でウェブを手放しに肯定していた梅田氏もその後「日本のウェブは残念」発言をするなど、ネットへの失望をあらわにしている部分もある。
 非はネットにあるわけではない。使う側の僕らに問題があるのではないだろうか。もしいま未来へのヴィジョンを失って混迷の中にあるとしたら本書を読んでもう一度、インターネットに対し抱いていたキラキラした希望を取り戻したい。