2013年2月25日月曜日

WEB上のバカや暇人はいまも順調に退化中? 〜中川淳一郎『今、ウェブは退化中ですが、何か?』(講談社)

ニコラス・G・カー『ネット・バカ』に続き、またもインターネット批判本を読む。
『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)が話題をよんだ著者の、その続編ともいえる本。
前述の「ネット・バカ」といい、どれもみなネット信奉者の神経を実に上手に逆撫でするタイトルばかり。逆にそれが思わず手にとる気にさせるテクニックなのかもね。

ネットニュース編集者の著者が情報を発信する側でありながら、個人的にはツィッターやSNSに一切手を出さず、トラブルを避けるため自分の情報はけしてネットにあげようとしないというのも皮肉な話だ。
それだけ日本のネット民度は低いのだといえる。その低レベル具合は本書にもあるように『WEB進化論』などでネット社会の明るい未来を希望をこめて語った梅田望夫氏が「日本のウェブは残念」発言をしてしまったくらいだ。

またネット事情に詳しい立場から「2ちゃんねる」への悪評を行き過ぎたものと擁護し、逆に紹介制だから安心とされているSNSの危険性にも言及している。まあこの著者にしてもネットリテラシーが低い人間への差別意識は見え隠れしてて、ネットなんてたいしたもんじゃないと言いきってしまうことが逆に最上級のネット選民であることを証明してる感じはあるけど。

さらに著者は、ネットに対して人々が抱きがちな過大な期待感を指摘する。たしかに僕らはなぜこんなにも「ネットを使えばいいことが起きる」と思い込んでしまうのだろう。非常に素朴な疑問ではあるが。
答えはおおよそ見当がつく。ネットでひと儲けできます、友人知人がたくさんできますと過剰なPRがはびこっているからで、「ウェブ2.0」や「クラウドコンピューティング」など分かったような分からないような新語を連発してITや広告業界の連中が煽ってるのはもはや明白だ。
PCやネットなんてただの道具。ネットで成功するのははじめから才能や素質があった人。もともとダメな人はネットに頼ってもダメという身もフタもない結論になりそうだ。

自分は何のためにアクセスもほとんど集まらず、金銭的利益があるわけでもないブログ書きなんかを続けているのだろう。本書を読みながら何度も自問自答させられた。
著者にいわせれば自分は「ウェブ上で評論家ぶりたい人間」の範疇にはいってしまうのだろうか。本書にはネットに書き込みをする人間が幾種類かタイプ分けされていて、読書録を書くのはリア充タイプとなっているが、オレはけしてリア充というわけではないし・・・
たしかにHPやブログを始めた当初は、ネットを通じて書く仕事につながればなどとバカな期待を抱いたりもしたが、その種の絵空事はほとんど起きなかった。多少あったにしてもあまりいい結果にはならなかった。ただ書くことは好きなので今後もこつこつと書き続けてはいくでしょうけど。
「だったらネットに書かなくてもいいじゃん」というツッコミが聞こえそうだ。実際、旧来の紙メディアに戻ろうかなんて時代逆行的な動きも自分の中にある。ほとんど未知数のマスに向けてではなく、確実に目指す相手に伝わる方法へとシフトし始めている。

自分のことはおいといて本書の話に戻ります。

「ほんとうにたいせつな人も仕事も人生もネットにはない」と著者は言い切っている。
FBなどの実名SNSが一般化して事情はだいぶ変わってきたが、PC画面の向こうの顔も素性もわからない相手よりは自分の身のまわりの人間関係を大切にしようというしごくまっとうなアドバイスは現時点でもきっと有効だ。
バカと暇人のウェブは今も退化中。そう嘆く著者は、骨がらみでネットに関わったあげくもはや「解脱」の境地に行き着いてしまったのでしょう。著者が本書の出版に至った経緯もネット経由ではなくリアルな人間関係を通してのものだそうだ。
そうかリア充だったのか。だったらムリしてウェブ上に自分をさらけ出す必要もないのかもな・・・



2013年2月13日水曜日

新しいメディア、さあどうする…30年前みんなが頭を悩ませた 〜中本正勝他編著『情報で町づくり』

図書館で地域活性に関する本を探していたらまさにぴったりのタイトルの本が見つかり、借りてきて読んでみたら80年代後半に出版された本でした。30年近く前かよ・・・。

当時の社会のIT化(そのころはマルチメディア化といった)への取り組みの実例が本書には列挙されているが、会議に会議を重ねた末、出てきた結論は商品の流通VANだとか、駐車場案内システム、CATVなどが精一杯というところだったようだ。いや、あの頃はそれでも大革命だったんだろうけど。牧歌的な時代でしたねえ。

本文中、コンピューターをどう使うかについて識者が語るコメントには、いわゆるオカミからの標語みたいな大層なフレーズは頻出するのだが、具体的に何をどうしたいというところはほとんど出てこない。新しいものにうとい一般庶民はそれを聞かされてもますますそっち方面には興味をなくすんじゃないかみたいな・・・。

マルチメディアという言葉が出てきたということは逆にいえばそれまでの社会は単一のメディアによって動かされていたわけで、情報は新聞・テレビのような大企業、権力側から一方通行に流されるものとされていた。そんな状況ではコンピューター利用についての発想の貧弱さはまあ仕方ないところでしょう。いきなりコンピューター回線でエロ画像を流そうなどと考える人もごくわずかでしょうし。

マルチメディアの新たな利用法が開発されるには。その後のインターネット隆盛などによる世の中の変化を待たなければならなかったわけです。僕が見てきた感じでは、その変化、つまり「面白い使い道」は、お役所主導というよりも、ネット上の名もなき2ちゃんねらーやユーチューブ、ツィッター、SNSのメンバーたちが作っていった印象が強い。

この本はC&C文庫の一冊、発行はNEC日本電気文化センターになっている。当時はパソコンメーカーが出版業に乗り出すほどコンピューターの分野は急成長分野だったことがうかがえる。

ちなみにC&Cとは「コンピューター&コミュニケーション」を意味する頭文字。たしかNECの社内報タイトルにも使われていたはずだ。当時僕はこの社内報づくりに関わっていたことがあったが、制作にはDTPなんかいっさい使わず、下請けの印刷会社が活字を切ったり貼ったりの原始的な方法でつくっていました。ま、パソコンで世の中が変わると大合唱してたわりに実際はそんなものでした。

情報で町づくり (C&C文庫)

2013年2月6日水曜日

ネットはわたしたちをおバカにしている!? 〜ニコラス・G・カー『ネット・バカ』

本書の著者はパソコン・ネットをその黎明期から使い続けてきた。機械の計算力や記憶能力が進歩していきインターネットが登場、ブログやSNSなどさまざまなサービスの開始などをリアルタイムで経験した世代だ。

PCの進化をたどりながら、著者のなかでは納得のいかない思いが育っていく。しだいに長い文章を読むのが面倒になり、1冊の本も読み通せなくなっていく自分に気づいたのだ。著者は自分の脳が高速データ処理機械となってしまい「以前の脳が恋しくなった」と本書の中で嘆く。

うーん、たしかに僕も本ぐらいは読み通せるけど、ネット上だと長めの文章は敬遠してしまうのが事実だ。それは莫大な情報の海を泳ぎ抜くためのやむをえない手段でもあったのだが、検索のスピード化で瞬時に答が見つかったり、リンクによって次々にサイトをたどっていくネットサーフィンなどで、脳の構造にもちょっとした変化が起きてるのかもしれない。やたら気が短くなったとか、すべてにおいてせっかちになったとか。

ネットが広まって以降に生まれた世代は、ひとつの文章をはじめから順を追って読み進めるのではなく、ページ全体をスキャンするように見わたして重要な単語だけ拾い上げていくのだそうだ。それって読書か? と思ったりもするけど、ある意味速読法に通じるかも。読み方が変わるだけではない。「本」というモノの形態が変わることは「内容の変化」も誘発するという。著者は一例として日本のケータイ小説隆盛にもふれている。つまり軽い内容になるってことか?

とまあ、ネットが僕たちの思考を変えたとはよく言われることだがよい方向にばかりとは限らない。人類全体が気まぐれで思考散漫になり、思考能力が衰えつつあるのかもしれない。

ネット検索中の人の脳の活動を測定するなど科学的手法でも、この仮説は検証される。同一の内容で直線的なテクストを読んだ人、さまざまな単語にリンクのついたハイパーテクストを読んだ人それぞれの理解度を比較した実験では「ひんぱんな思考中断は思考を断片化し記憶力を弱める」と結論された。う〜ん・・・

本書はまた人類の文明史にもページを割いている。言語や文字、地図や時計といった「精神の道具」の登場は文明の進化に大きく貢献した反面、それらに頼ることで失われたものもある。まさに諸刃の刃だ。ネットやPCもまた同じような役割を果たしつつあるのかもしれない。

著者はけしてこうした変化を批判しているわけではなく、避けられない時代の流れなのだとくどいほど文中で繰り返している。今はまだそのスピードや情報量についていけないが、人間はやがて「より機敏にデータを消費する存在」へと”進化”していくのかもしれない。それはそれでいいことだろうけど、著者の口調にやや悲観的ムードが漂うのはこちらの思い過ごしだろうか。

『ネット・バカ』・・・タイトルだけみると、ネット社会をやゆしただけのキワもの本かと思いかねないが、そこそこ学術的な面も併せ持つ一冊だ。本書を読んでからネット接続を少し控えるようになった小心者の僕だが、100%情報遮断してしまうわけにもいかない。要はネットと活字とのバランスをとることが大事なのかな・・・。