2013年6月23日日曜日

バック・トゥ・ルーツ、全作ツィートするぞ!星新一 〜『かぼちゃの馬車』(新潮文庫)

 ツィッター上で「星新一1001夜」という企画? を始めた。氏の1000編を超えるショートショートを一編ずつ要約してツィートしていくという試みだ。

 はじめはアラビアンナイトにならい、毎晩一編ずつ上げていく予定だったがズボラな性格のため不定期ツィートになってしまっている。夜間限定という時間の制約もあるし。

 手元に新潮文庫版のショートショート集が5、6冊あり、まずはその中の『かぼちゃの馬車』から始め、ようやく1冊終えるところだ。




 要約といっても、なんせ小学生のころ読んだきりなので内容はほとんど忘れており、あらたにまた再読しなければならない。とっくに卒業したつもりの星新一ショートショートをこのトシで読み返してるわけだ。

 実はツィッターで星作品の紹介を始めようと思い立ったのも、どちらかといえばこの再読がメインな目的だったわけで、
 人生も後半戦に入りもう一度自分のルーツを確かめてみたい思いがこのところ強くなってるというのが本音のところだ。思いっきり後ろ向きだな、オレ。


 僕の読書ルーツは星新一に限ったわけではなく、それより以前から江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ(ポプラ社の、背表紙にトランシーバー片手の少年がいる、あれです)や子供向けに易しい文章に訳されたホームズ、ルパンものなんかも読んでた。いわゆる古典文学の名作は敬遠してたけど。

 そういった一連の当時の愛読書の中でもやっぱり星新一を筆頭にあげてしまうのは、
やはり彼のショートショートが本読みビギナーの少年少女には非常に良好な入門的役割を果たしていると思えるからだ。

 ファンタジックなストーリーに簡潔な文章、意外なオチ、そして読んでたときは気づかなかったけど、その内容の健全さも作者がジュニア世代を意識して書いてたとしか思えないフシがある。


 というわけで自分の読書歴の筆頭にもどうしても星氏の名があがってしまうことが多いのだが、
膨大な星氏の作品のうち僕が読んでるのはその半分にも満たないだろう。

 僕が星ショートショートにハマってた時期はちょうど新潮社から全10巻の星新一の作品集というのが出てた。
 その後もリアルタイムで星氏は執筆を続けており、僕がとっくに星ショートショートを卒業した頃に1000編という大記録は達成された。

 そのニュースを耳にしたとき、ぼんやり子供の頃を思い出し、あの頃のように無心に物語を楽しむことはもうないかなあなどと思った。二十歳ぐらいの頃だったかな。


 星氏の作品は子供だましだとか人間が描けていない、みたいな筋違いの批判も多かった。
ショートショートという形式上、簡単に書けそうな誤解を受けたり産みの努力のわりに報酬的に恵まれなかったりとか。

最近読んだ最相葉月『星新一 1001話をつくった人』にはそのへんもじっくり書かれており、あのころ面白おかしく読んでいた星作品の陰にこんな苦労があったのかと、あらためてその偉業を再確認する思いだ。

 もう一度本を読む楽しさを思い出すために(べつにいまも十分楽しいのですが)あらためて紐解く星作品。
 短いので再読にも好都合。並行しながら未読のものにも手をつけていきたい。どこまでやれるか星作品の再読&要約。人生後半のライフワークにしていきたいもんです。

2013年6月11日火曜日

文芸誌? それとも音楽誌? 〜「パピルス」と「月カド」



久しぶりに新刊書店をのぞいたら、幻冬舎が出している「パピルス」が大幅にモデルチェンジしていたのでびっくりした。知らなかったのは僕だけでみなさんとっくにご存知だったのかもしれないが。

「ゆず」の二人を特集しているが、判型が普通の文芸誌サイズになり、表紙もずいぶん地味な感じになって、それまでと同じ雑誌とは思えないくらいだ。

「パピルス」ってあまり中身を読んだことないのですが、ジャンル的には文芸誌でしたよね。にも関わらず毎号、有名アーティストや俳優を取り上げている。

これってその昔の「月刊カドカワ」と同じ路線だなと遅まきながら気がついた。

「月刊カドカワ」は僕の記憶でははじめ純然たる文芸誌としてスタートしたものの、何かの折りにアーティストを取り上げたら売れ行きがよかったらしく、

その後は毎号「総力特集」と銘打って一組のアーティストに徹底的にこだわるスタイルになったようだ(ちがってたらすいません)。

活字が好きな層と、音楽が好きな層って微妙に重なるんでしょうか。どちらも表現という意味合いでは同じなのかも知れません。事実、僕が見た新刊書店では「パピルス」も、また「月カド」の後継者的存在である「別冊カドカワ」(特集は矢沢永吉)も音楽誌のコーナーに並んでました。

「純然たる文芸誌」時代の「月カド」は僕もよく知らないのですが、アーティスト総力特集の頃は毎月のように図書館で借りてました(買わなくて失礼)。

当時は1990年代。カラオケブームからJポップへ移行する時期だったでしょうか。厳密には違うかもしれませんが、僕が熱心に読んでたのはそのあたりです。

毎号、本人によるエッセイ風文章やカバーストーリー、ディスコグラフィー等でひとりのアーティストにあらゆる角度から迫り、とても充実した内容だったと思います。

ここから尾崎豊の一連の著作をはじめ、話題になったアーティスト本が次々に誕生しています。

アーティスト側にとっても「月カド」に取り上げられたということは創造性の高さを認められたも同然で、かなりのブランドアップにつながったようです。

当時、「月カド」の編集者として尾崎豊らの「文才」を発掘したのが、いまの幻冬舎社長見城徹氏。「パピルス」が「月カド」の流れをくんでいたとしても不思議ではありません。

まあ、僕が感じた「月カド」の功罪をひとつあげるとするなら

本来書くことはアマチュアといってもいいアーティストやミュージシャンに(文章力という意味ではありません)、プロ同等の執筆の場を与えたことで、その後のインターネット上における個人のホームページやブログの隆盛ともあいまって、文芸のアマチュアリズム化に拍車をかけたのではないかという点ではないかという気がします。アマチュアの身で、エラそうにすいません。

「総力特集」だけでなく、通常の連載ページもなかなか興味深い執筆陣を集めていた「月刊カドカワ」。古書店で全巻揃えたら90年代のJポップをはじめとしたサブカルチャー史の貴重な記録となるでしょう。幾らぐらいするんだろうなー。いや、集めないけど。一冊、また一冊と地道に探していくのも楽しいかもしれませんね。

「パピルス」の話で始めたのに昔の「月カド」の思い出で終始してしまいました。ヤングの方にはすいません。

2013年6月9日日曜日

たまには愛について真剣に考えよう 〜福田恒存『私の恋愛教室』(ちくま文庫)





近頃多いものに幼児虐待があります。「いったい子どもを愛していないのか!」と怒りを感じる方も多いでしょう。いまの世の中狂ってる、と。

だけどこれは現代社会の病理なんかじゃない可能性もある。そもそも「親の愛」ってほんとに存在するんだろうか。

「愛」なんて観念は西洋から輸入されたもの。もともと日本にはなかったものだとはよく聞く話だ。本書でも著者の福田恆存がそう指摘している。

なるほど。だから貧しい寒村では平気で(平気じゃないかもしれないけど)生まれたばかりの赤ん坊を間引きしたりしてたのか。そんな結論はちょっと乱暴かもしれないが。

文明開化とともに「愛」が西洋から運び込まれた明治時代、それまではおおらかに「野合」を楽しんだり、村の若者が人妻に「夜ばい」をかけたり、はたまた「妾」を囲って自分の甲斐性を誇ったり、好き放題やっていた日本人は、「愛」という新奇な観念をどう取り扱えばいいか頭を悩ませることになった。

海の向こうから「愛」がやってきたおかげで男女関係はややこしくなり、鴎外や露伴、北村透谷らの文学の主要なテーマともなった。本書でも精神的な恋愛がどういうものか分からない当時の日本人の恋愛観を皮肉った二葉亭四迷の作品の一節が紹介される。

その滑稽な恋愛模様を読むと「しょせん僕ら日本人は恋愛になんか向いてなかったってわけだ、肉体的にも精神的にも」とヒクツになってしまいます。

まあ最近では若者たちのルックスもよくなり、社会のモラルもゆるんで昔の僕らより恋愛のハードルが低くなったみたいだ。だからって「いい恋愛」ができるかどうかはまた別問題だと思うんだけど。

またD.H.ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』は、翻訳された当初わいせつか否かで裁判沙汰にまでなったが、原作者の本当の意図は性の解放などではなく、むしろその反対だったと著者は言っている。実はロレンスは性的規範については非常に厳しかったのだと。そのくだりを読んで思わず自分の少年時代の体験を思い出した。

当時、見知らぬ土地へ引っ越してきた僕は、地元の子どもたちの仲間に加わるとき、エッチな話題をするとやたらウケがいいことに気づいた。

それからは皆に溶け込もうと意識的にシモネタばかり披露するようになってしまい、みんなのあいだで僕は病的なエロ大好き人間という評判がたってしまった。ご、誤解だあっっと今でもたまに叫びたくなる。

そんな自分がいま気になるのは、エロ男爵の異名で有名な某男優だ。彼は本当にエロ好きなのか、それともエロ好きイメージで人気が出たために不本意ながらそれをキープし続けているのではないかと・・・

なんだか話があちこちとんでしまったな。それだけ愛とは深くて広いテーマなのかもしれません。

というわけで愛について教えを乞いたければ本書『私の恋愛教室』を。もともと女性獄舎を意識しているのか文体もやさしいです。なにぶん昔の本なので(元版は1959年発行)著者の考え方もやや保守的な部分がないではないですが、若い女性の身を気遣うデリカシーが感じられてこれもなかなかいいもんです・・・。