2013年2月6日水曜日

ネットはわたしたちをおバカにしている!? 〜ニコラス・G・カー『ネット・バカ』

本書の著者はパソコン・ネットをその黎明期から使い続けてきた。機械の計算力や記憶能力が進歩していきインターネットが登場、ブログやSNSなどさまざまなサービスの開始などをリアルタイムで経験した世代だ。

PCの進化をたどりながら、著者のなかでは納得のいかない思いが育っていく。しだいに長い文章を読むのが面倒になり、1冊の本も読み通せなくなっていく自分に気づいたのだ。著者は自分の脳が高速データ処理機械となってしまい「以前の脳が恋しくなった」と本書の中で嘆く。

うーん、たしかに僕も本ぐらいは読み通せるけど、ネット上だと長めの文章は敬遠してしまうのが事実だ。それは莫大な情報の海を泳ぎ抜くためのやむをえない手段でもあったのだが、検索のスピード化で瞬時に答が見つかったり、リンクによって次々にサイトをたどっていくネットサーフィンなどで、脳の構造にもちょっとした変化が起きてるのかもしれない。やたら気が短くなったとか、すべてにおいてせっかちになったとか。

ネットが広まって以降に生まれた世代は、ひとつの文章をはじめから順を追って読み進めるのではなく、ページ全体をスキャンするように見わたして重要な単語だけ拾い上げていくのだそうだ。それって読書か? と思ったりもするけど、ある意味速読法に通じるかも。読み方が変わるだけではない。「本」というモノの形態が変わることは「内容の変化」も誘発するという。著者は一例として日本のケータイ小説隆盛にもふれている。つまり軽い内容になるってことか?

とまあ、ネットが僕たちの思考を変えたとはよく言われることだがよい方向にばかりとは限らない。人類全体が気まぐれで思考散漫になり、思考能力が衰えつつあるのかもしれない。

ネット検索中の人の脳の活動を測定するなど科学的手法でも、この仮説は検証される。同一の内容で直線的なテクストを読んだ人、さまざまな単語にリンクのついたハイパーテクストを読んだ人それぞれの理解度を比較した実験では「ひんぱんな思考中断は思考を断片化し記憶力を弱める」と結論された。う〜ん・・・

本書はまた人類の文明史にもページを割いている。言語や文字、地図や時計といった「精神の道具」の登場は文明の進化に大きく貢献した反面、それらに頼ることで失われたものもある。まさに諸刃の刃だ。ネットやPCもまた同じような役割を果たしつつあるのかもしれない。

著者はけしてこうした変化を批判しているわけではなく、避けられない時代の流れなのだとくどいほど文中で繰り返している。今はまだそのスピードや情報量についていけないが、人間はやがて「より機敏にデータを消費する存在」へと”進化”していくのかもしれない。それはそれでいいことだろうけど、著者の口調にやや悲観的ムードが漂うのはこちらの思い過ごしだろうか。

『ネット・バカ』・・・タイトルだけみると、ネット社会をやゆしただけのキワもの本かと思いかねないが、そこそこ学術的な面も併せ持つ一冊だ。本書を読んでからネット接続を少し控えるようになった小心者の僕だが、100%情報遮断してしまうわけにもいかない。要はネットと活字とのバランスをとることが大事なのかな・・・。


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